漕艇部の歴史

昭和41年 10月 愛好会として有志の方々により発足、顧問を経済学部坂井幸三郎先生にお願いする。合宿先、慶応大学漕艇部の好意により同部合宿所、一部施設を借用。同大学によりトレーニング、乗船等に助言・指導をいただく。
昭和42年 4月 経営学部石川信男先生を部長としてお迎えする。この間陸トレのみ。アルバイトによりナックル艇の購入をはかる。
11月 初めてのナックル艇購入。進水式。
体育会同行会として承認。若林先輩を主将とする漕艇同行会は、ここに発足した。
昭和43年 4月 新人10名入部。慶応漕艇部、小高氏をコーチに迎える。
6月 早朝強化トレーニング一週間。慶大より中古シングルスカルを購入。
10月 大日本インキ社内レガッタにおいて招待試合に参加。ナックルフォア3位。
昭和44年 4月 慶大漕艇部エイト00Xであられた中村栄介氏をコーチに迎え、シェル艇漕法を教授していただく。
8月 初の全日本に備え2度の合宿。無ペア2艇初出場。
11月 全日本新人に、シングルスカル、無ペアにて初出場。

昭和44年戦績

全日本競漕選手権
無ペア 決勝5位
無ペア 決勝6位
全日本新人競漕大会
無ペア 決勝4位
昭和45年 4月 10名入部。総数16名となり、クラブとしての外観を呈するようになった。
5月 中村栄介氏の紹介により、共立女子大学ボート部監督、永井久雄氏を監督に、慶応大学漕艇部出身の福部重人氏をコーチに迎える。
7月 都立大漕艇部よりシエル艇付フォア(朝霧)を購入。
8月 全日本に出漕。
11月 全日本新人に出漕。
12月 学内に於いて当同行会が、優秀団体に、また吉岡康司が優秀新人に選ばれた。

昭和45年戦績

全日本選手権
無ペア 決勝3位
付ペア 決勝2位
昭和46年
8月 全日本に、11月全日本新人に出漕。総数26名。
11月 銚子遠漕、慶応大と合同で参加。

昭和46年戦績

全日本選手権
付ペア 初優勝
無フォア 決勝2位

*特別優秀団体、優秀選手、優秀新人等に選ばれる。

昭和47年   年頭より「部」昇格にむけて一層努力とともに各方面に働きかける。
10月 正式に漕艇部として承認、発足。プール下より部室を学館へ移動。

昭和47年戦績

お花見レガッタ
大学男子ナックルフォア 優勝
全日本選手権
無ペア 決勝2位

*全日本のおり、北海学園大と交流をもち、情報の交換を図る。

昭和48年 漕艇部として一段の飛躍を図るべく、8月には北海道へ遠征合宿を挙行。引き続き北海学園大との交流を行った。茨戸湖では北大のエイトに乗艇。

昭和48年戦績

全日本選手権
無フォア 決勝2位
シングルスカル 敗復4位
昭和49年 前年の不本意な成績を反省、再建に努力した。本年よりインターカレッジ復活(軽量付フォアを新設)。
この年より東北学院大とも交流を行う。

昭和49年戦績

全日本大学選手権
シングルスカル 決勝進出するも中止
昭和50年 リギングなど技術面の向上を企図し、科学的練習の基礎づくり等に尽力。ボート界の進展に伴う我が「青山漕法」を作るべく努力。
昭和51年 本年は部員が急速に減少し、新入生も少なく多難な一年であったが、残った部員はよく頑張った。

昭和51年戦績

全日本選手権
なしペア 決勝3位
昭和52年 日本漕艇界と軌を一にしたかのような、冬の時代であったが新人が多数入り、一安心する。
女子の漕手も2名入部した。

昭和52年戦績

関東競漕選手権
一般男子シングルスカル 決勝3位

この年に空席であった監督にOBの林和孝氏を迎える。同氏は日漕公認審判員としても尽力された。また故永井先生御遺族より無フォア艇(稲光)を寄贈される。

昭和53年

長かった低迷を脱した記念すべき年になった。女子は初優勝し、新人の付フォアは、あと50mコースが長かったら…と思わせる素晴らしいレースであった。
この年に部長・石川先生のご尽力で学校の援助を受けることが出来、念願の付フォア新艇を購入。新人戦準優勝の力となった。

昭和54年 スカル種目など、出走レース数が増加したが、成績はかなり上下に分かれた。ボートは漕いでみなければ勝敗は分からぬが、出るのみでは…。
昭和55年

創部15年目を迎え、体力作り、漕技練磨に取り組む。ことに我が部初の試みとして、6月愛知池、中日本レガッタに参加して全国の強豪と覇を競ったことは特筆に値する。これについてOB諸氏の多大な援助、部長先生の励ましがあったことも忘れてはならない。
この年に、林監督、飯森コーチが転勤により退き、OB石原洋一氏を監督に、OB酒井光一氏をコーチに迎える。

昭和56年 母校の厚木校舎が落成、渋谷、戸田と部活動も一都二県に分散するので、新人の獲得に努める。女子2名入部。男子は少なかった。
昭和57年 厚木開校以来男子部員減少、再び活動も停滞か。折角のレースに棄権が多かった。
昭和58年

本年もスカル種目を中心に数多く出艇するも、一部を除き、不本意な結果となった。
主な戦績は全日本大学選手権で男子シングルスカル決勝5位。
尚、シングルスカル高田はロサンゼルス五輪最終選考会に出場、体育会優秀選手となった。
石原監督が転勤のため退き、元監督の林和孝氏が再任される。

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